労働者福祉

福祉基金協会の目的と歴史

1、自主福祉運動と労働運動

私たちの自主的な福祉運動は労働運動の一環であって、“労働者福祉運動とは、労働者の福祉要求の実現を通じて、労働者・家族の生活の向上をはかり、真に平和で豊かなくらしを保障する社会を創る”ことを基本理念とした労働運動の一環としておこなわれる、労働者の自発的・自主的な要求・活動を指しており、それはつねに、労働者の団結した力を主体としてすすめられていくものである。”これは、中央労福協の基本理念に掲げられている一節であります。

我が国の経済は、1965(昭和40)年代の高度成長政によって大きく発展し、物質的な豊かさをもたらして、私たちの生活様式も大きく転換させました。 ところが、1973年(昭和48)年代に起こった第1次オイルショック以降、我が国の経済も国際情勢の変化の中で、高度成長から低成長へと変換を余議なくされ、私達が生活を守るために、毎年闘ってきた賃上げも1974年(昭和49)には32.9%の賃上げを獲得したが、1976年以降は8%以下におさえられてきました。

私達労働者の意識も、高度成長の中で多様化と云う表現に象徴されるように、労働組合への参加はもとより、労働者の各種の福祉事業団体に対する対応も、設立当時の力強い協同の精神が薄れる傾向が散見されるようになりました。また、労働金庫をはじめ福祉事業団体も急激に発展してきた中で、運営が形式主義になり、事業団体の職員も協同組合運動の専従者であるという認識が弱まる傾向がみられるようになりました。

静岡県労福協は、このような状態を打開するために、その主権者であります労働者の理解と運動への積極的な参加を求めるために、労福協及び各事業団体の役職員が率先して、学習活動を計画的に実践することが喫緊の要務であると考え、1976年6月に「静岡県労働者福祉基金協会(福祉基金協会)」を設立することにしました。

目的としては『福祉基金協会は勤労者とその家族の福祉を増進し、併せて、勤労者等の福祉向上をめざす団体の自主的な福祉活動の発展を図り、もって勤労者等の社会的・経済的・文化的地位の向上に役立つことを目的とする』として、静岡県労働金庫・全労済静岡県本部(現:こくみん共済coop静岡推進本部)などの福祉事業団体からの寄付を基金として事業展開を行うことといたしました。

 

2、協同組合運動との関わりと教育活動の重要性
≪1984年「静岡県労働者福祉運動小史」発刊に向けて“静岡県労働者福祉協議会”の呼びかけ文より≫
1966年9月ウイーンにおける第23回国際協同組合同盟大会で新しく採択された「協同組合原則」は、ロツチデールの先駆者たちと世紀の協同組合人たちを結びつける歴史的連続性が示され、協同組合運動の理論と実践との統一に立ち、社会的・経済的役割と協同組合人の思想を描き出しており、およそ協同組合とは何ぞやという問いに対して最も権威ある答えとなっております。

その原則の一つに、教育活動の促進として「すべての協同組合はその組合員、役員、職員および一般民衆に対して、協同の原則と手法についての経済的及び民主的教育をするための準備金を用意しなければならない。」と明記され、教育活動の必要性が指摘されております。 従って、協同組合運動は、教育にはじまり、教育に終わるといわれており、その教育は一種に限らない多くのものを含む非常に広い意味に定義される必要があります。

それは、人々の知識を広め、能力を発達させ、見識を高め、男として女としてまた労働者として、かつ市民としての良識の遂行を鼓舞するもので、一生涯にわたるものでなければなりません。19世紀の偉大な経済学者の・Sミルは、「教育は、全人類にとって望ましいものであるが、協同組合人にとっては、教育は生涯必要なものである。」といっています。

現在、我が国における労働者の福祉事業団体は、労働運動の一環として分野別に設立され、分立して教育活動を行っておりますが、決して十分とはいえません。特に激しい社会経済の変動に立ち向かって生き抜くためには、事業団体間の協同化の推進と事業団体を構成する労働者教育の充実が必要とされていますし、労働者福祉運動30年の歴史は世代の交代を求めております。

これからの若い人たちは、勇気をもつて、先人の歴史を踏み台として、未来における可能性に向かって挑むべきでありましょう。そのためにも教育活動の重要性が指摘できますし、後継者を養成しない組織は亡びるといわれております。よって「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」の協同組合の精神にもとづく教育活動の積極的な推進をする必要があります。

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